異次元宇宙との交信(SF) ~理想郷を求めて~

序章『 太陽系の開発 』

 西暦2200年に差し掛かる頃。人類は平和的に地球惑星で暮らしていた。
地球環境の激変と、高度な科学技術が齎す恩恵で、効率的な産業技術、経済、民主主義、教育体制、社会制度、医療技術、食料生産が整い、人類に平和的な共存という概念が生まれて、人類の興味はもっぱら宇宙開発と1個人の人権尊重と人命の大切さに置かれ、助け合いの精神でより永く地球を存続させるかに献身していた。

 太陽系は人類の探索の場であり、そこに存在している惑星や衛星は、人類の居住地と成っていた。
 例えば、太陽から近い惑星順に、水星、金星、地球、火星、木星と連なっている。人類は、その全ての惑星や衛星に拠点を設けて、宇宙空間で堪え得る建造物を建てて、実験的な人類の移住と統計的で最適な人類の暮らしを求めて、科学者や人類学者が日々、研究を重ねていた。

 水星や金星には、無人の建造物や探査機を送り、太陽熱で熱い中での環境観測を行っていた。地球では、環境破壊と汚染を克服して、清浄化に努めていた。比較的に住み良い火星、木星とその衛星上では、人類は建造物を建てて重力調整や気圧調整や建物内部の空気の調節を、その惑星で得られる鉱物や気体を使い、実験的に移住民達が果敢に住み、惑星データ収集と統計的・医学的な人体への影響を調査していた。

 方法論では無く、技術論でも無く、情熱である。人類に必要なものは生きて行く上での情熱であり、如何に人類の歴史を長続きさせて、如何に平和に暮らして、如何に宇宙をよく知る事である。
 どこまで辿り着けるかは誰にも判らない。行く手に何が待ち受けているかも。困難と苦労は、永遠に目の前に立ちはだかる。人類の行く手には広い空間と星系は広がっている。しかし、そのどれもが果てしなく遠い。そして、時間を隔てている。

 今、人類は小さな幸せの中、大きな困難の高い壁に目の前を塞がれていた。

第1章 『 交信 』

 火星と木星に人類が建てた建造物が存在していた。未来の西暦2200年頃である。人類がコツコツと運んだ無人探査機から始まり、やがて無人建設宇宙船、無人宇宙輸送船、そして有人宇宙船と成って、それぞれの惑星に少数の実験的な移住民が、特殊な構造をした建物で暮らしていた。
 それは有害な宇宙線から身を守り、重力調節をし、惑星で得られた鉱物や大気から、人が生活を送る事が出来る大気を作り出し、温度を調節出来て、電気を発生させられる建造物である。

 実験的に移住をしてきた者達は、選りすぐりの者達である。科学者、医師、研究者、技術者、スポーツ選手、男性女性、あらゆる分野の人種と年齢の者達であった。
 これらの者達は人類が後に移住し得るべきデータを採取し、蓄積して、統計的にどの様にすれば人類は宇宙空間で生き延びて行けるかを試すものであった。彼等は仲が良く、家族の様であり、運命共同体である。
 互いに思い遣り、尊敬し合い、愛し合い、時に議論や喧嘩をしながらも、愛情を持ってその使命を果たす為に惑星の建物に来た。

 建物から外に出る時は、もっぱら宇宙服を着用して、専用の車やバイクで移動をする。惑星は海が無く全て陸続きだが、その陸地の凹凸はまるでヒマラヤ山脈や深海の海溝の様に高低差があり、起伏に富んでいる。隕石の衝突によるものであろうか? だから、特殊な宇宙空間を短距離飛んで移動できる乗り物も使用する。
 惑星には昼もあり夜もあったが、大気が無く反射物が余り無いので、一般的に暗い宇宙空間に身をさらされている様であった。
 有毒ガスで満たされていて、とても宇宙服無しでは長く生きる事は無い。

 人類、我々はその圧倒的な宇宙という大自然の中では無力である。しかし、移住者達にとってはそれも最適で快適であり、全てを受け入れる事が出来ていた。
 惑星に建てた建物は点々としていて、移動した時に身を寄せる事が出来る避難場所でもあり、その建物こそがその惑星上での都市である。だから、惑星上で知らない者は居なく、新入りの移住者や、新しく惑星上で産まれた赤ん坊等にも、皆が祝福をした。
 彼等は、人類の希望であり、英雄であり、人格者である。

 或る日、振動を伴う電波や光や音を、惑星上の建物が観測した。学者達は、その特異性に興味を持ち、それらを観測しながら、一番その印、兆候を感じ取れる場所を探して大きな探査機を飛ばした。
 探査機はその兆候の大きな地点を目指して飛び、共鳴をした地点で不時着をした。惑星の大地は鉱石で主に出来ているのに、その一円だけは、まるで海の白い砂浜の様で、風に吹かれて波を打っていた。

 探査機は、データを収集し出した。物凄い密度の光にそこは照らされていて、探査機に光を反射させている。電波や音波などの計器のデジタルメーターが、膨大な数値を計測している。
 建物にいる学者達は、そのデータを管制室で見て何事かと目を見張った。宇宙空間での初めての交信が起こった日であった。

第2章 『 飛行 』

 地球惑星で、人類は機械により空を飛ぶ羽を得た。最初は、機械仕掛けの初歩的な羽から始まり、風を使う凧なども珍しく、それからエンジンを使用する飛行機、ヘリコプターと進化をして行った。

 元を辿ると、起源は始祖鳥という事に成っている。鳥の祖先である。それより以前には蝶やトンボ、微細昆虫等も空を飛んでいたはずである。
 海にはトビウオもいる。海の生物で羽を得た魚、若しくは哺乳類までに至る過程で、何時それを成し得たかは不明である。
 だから、大別をすると、羽を持ち大空を飛べる生物は、地球上には鳥、昆虫、魚、がいる事に成る。しかし、その大空に羽ばたいた順には、恐らく、魚、昆虫、鳥の順ではないかと考えられる。

 魚は進化の過程で、小魚の群れが大きな魚に追い掛けられる過程で水面に跳び出して行く内にヒレの一部を進化させてトビウオ科の様な一定時間の間、空気中を飛ぶ能力を身に付けたと思われる。トビウオにも眷属は居る。最初のトビウオが個体、または集団で進化をして種族を増やして行ったに違いない。水中と空で両方、生きる事が出来る様に。

 昆虫は陸の生物であり、海から発達したトビウオの様な魚の進化とは異なると思われる。どちらが先に大空を飛んだかは判らない。唯、昆虫にも羽の使い方は2種類以上あり、トンボ、蝶の様な、元々、幼生からサナギになり孵化して羽を常時広げている種族と、カブトムシ等の様な幼虫から甲殻昆虫に成るもので普段は羽を甲殻の中に隠して生活をしていて、飛ぶ時に甲殻の下から透明な折り畳み式の羽を出す種族である。

 鳥は一般的に大空を高く飛ぶ。しかし、空を飛べない鳥の種族もいる。これらはどちらが進化した者かは言い難い。
 例えば、離島で外敵からの攻撃を受けなくなった鳥は、餌を得る事が出来れば、大空を羽ばたく必要が無くなり羽が退化して飛ぶ事が出来なく成る。
 他方で、一般的鳥の種族は、始祖鳥から始まり、大空を羽ばたく事で外敵から身を守ったり、大空から餌を見付けて急降下してきて餌を捕獲する。だから、羽を盛んに進化させてあらゆる複雑な変化に富んだ飛行を可能にする。

 先に空を飛んだのは海か陸かの議論はさておき、魚の羽の進化を考えてみる。魚は所謂、水中に適応した眼をしているはずである。だから、小魚(ベイト)が大きな魚から逃げる時に、水面から跳んで空中に出て大きな魚の捕獲から逃げる。
 昆虫を狙う鳥が、空を飛ぶ昆虫を捕食する為に羽を進化させたのか、または、空を飛ぶ事が出来なかった鳥を捕食する大型生物(翼竜などより前の恐竜など)から逃れる為に大空に羽ばたいたのかは謎である。始祖鳥は確かに人類が化石として発見した、最古の飛ぶ事が出来る鳥とされていて、しかし、一方で、大きな鳥より小鳥の方が先に大空を飛んでいたのではないかとの疑問も残る。化石として残っているかどうかという問題です。

 人類は空気抵抗というもので、大空に羽ばたく術を見付けて、約300年弱の年月が経とうとしている西暦2200年頃。
 金星で起こった不思議な現象を、金星上の建物の管制室で金星に付随した幾つかの人工衛星網で観測して、共鳴した場所に、移住民達の数人が行ってみる事にした。その数は5人。男性3人、女性2人であった。

 有人探査船に宇宙服を着て乗り込むと、探査機は一旦地上から真上に上昇してから地上に対して水平に向きを変えて、高速度航行に入った。
無人探査機が不時着している場所まで来ると、やはり、太陽光とは異なる光で照らされていた。太陽光ならば辺り全体が明るいはずであり、この光は明らかに異質の光であり、人工の光でも無い。

 先ずは、有人探査船は不時着をしないで乗組員は様子を見ていた。すると、光が浅瀬の海水の中をのぞいている様に揺らめいている。光の波を見ているかのように。無人探査機から送られているデータは不定期な光の強さであった。
有人探査船が無人探査機の横に不時着をした。乗組員が固定椅子から両肩のベルトを外すと、彼等の身体が宙に浮いた。一瞬、乗組員達は「いつもの事か」と思って、暫らくするとその中の1人が矛盾に気が付いた。
「 おかしくない、これ? 」
尋ねられた者達は、初め何が言いたいのか理解出来なかったが、それから直ぐに彼女の言いたい事に気が付いた。

 彼等が意図している動きに反して、向かおうとしている出口や入口の方に身体は遊泳出来ずに、皆が天井に軽い力で押し付けられている。弾む感覚である。

 乗組員の男性が、椅子の背もたれに手をやり、力を入れて一気に座りベルトを締めて計器を操作してモニターに外の様子を映すと、そこには岩が幾つも存在していて、岩には光の小さな紋様がびっしりと映し出されていた。
 探査船独自のコンピュータAIがその独特の文様と文法を解読し始めた。1分くらいすると、飛び飛びの翻訳された英語での解答が得られた。
『 異世界人の友人達へ。ようこそ、宇宙への一歩を踏み出してきました。我々と友人に成る事ができますか? 』

 男性乗組員は、言語体系を調べたが、地球上のどの言語にも当てはまらず、過去の言語とも違う、見慣れない不可思議な言語だった。
 光の文様はやがて消え去り、光の揺らめきと共に、探査船は不時着した砂の上に居て、乗組員達は、惑星の重力を感じていた。

第3章 『 光瞬 』

 無人探査機の横50メートル程の距離に不時着した有人探査船の5人は、不思議な光の記録とその光による言語をAIに掛けて得られたデータを、火星人工衛星を通して一番居住地が近い建造物に転送した。そこは不思議な現象が起こった有人探査船から約100キロメートル離れている建物である。
 その建物(都市)には約50人程が暮らしていた。受け取った管制室の技術者がそれを見て尋ね返して来る前に、それは起こった。

 有人探査船の近くに、また光の揺らぎが出来たと感じたら、その乗り物の周囲に空間と時間の歪みが出来て本来見えるべき景色が消えて、四方に太古の火星の映像が映し出された。それは映画を見ている様で現実的で幻想的なものだ。
 太陽系が出来立ての頃からの映像が流れ出し、灼熱の火星から始まり、そののち火星が大気を不断に持ち、空が見えた。その空は地球とは異なり、青く無く天荒が荒れた状態であるが昼には太陽光が覆われた雲間から差し込んできて薄明るく、夜には雲の多い大空の中に時々、銀河の星々がくっきりと見えた。
 次第に、惑星が枯れて行くさまも見え、そして乾燥して、今の姿が見えたと思ったら外の景色がまた見えだした。

 有人宇宙船の外をモニターで見ると、また周囲の岩々に光の不思議な文様が見えた。乗組員が同じようにAIに分析させると、大体の翻訳文が得られた。
「 さあ、異次元宇宙への旅に、出発しますか? 決して命が失われないとは言えませんが、あなた方の魂の帰る場所の拠り所は見付るかもしれません 」
 光の文様はそう言っているようだった。乗組員5人は、信じがたい一方で、好奇心と懐かしさと探求心も心に芽生えていた。AIが示す英語での意味と、目の前のモニターに映し出される光の文様の意味するところとその存在を未だに確信を出来ていないでいた。

 5人は顔を見合わせて、AIの間違いか何かではないかと言った認識を大半の心の中に持ちつつも、AIに尋ねてみた。「 これは本当なのか? 」
 AIは答え返してきた。
「 私は、正確に光の言語らしきものを翻訳しただけで真偽は判りかねます。どの様に致しますか? 」
男性乗組員が、「 では応答して光の文様に答えてみてくれ 」とAIに言うと、AIは宇宙船モニターの一部に、「 親愛なる異次元の友人に告ぐ。我々はあなた方の友人です 」という言葉を浮かび上がらせて、それを宇宙船の外の岩に投影した。
 岩に記された光の文様とモニター投影の英語が重なった。すると光が揺らめいた後に、大きな光の回転が有人宇宙船を包み込み、何時の間にか5人は光輝く空間を無加速度で航行しているようだった。

 光のトンネルを潜り、5人が辿り着いた先は、地球とはまた違った原始の惑星の砂浜であり、そこをバウンドして、何度も同じ様な所を経由した後に、白色の景色に包まれている無重力の優しい安らぎの空間に出た。
 遠く、山々が霞んで見える。地面が緑に覆われている。霧では無いが視界を光が霞ませて、何か生命の息吹を感じて胸が弾んだ。
 5人は互いの名前を呼び合い、無事を確認するが、遠く離れてしまったようで、2人の男女を残して、後の3人は散り散りになってしまった。

 霧の様な光輝は決して晴れる事は無く、太陽も無く、2人は大空を羽ばたいていた。見えない透明な羽によって。視界は霞んでいたものが鮮明に成ってくるに連れて、この世界の風景が見えてくるのだが、眩しくて仕方が無い。
 男女2人は、決してはぐれる事が無い様に、手を繋いでいた。人類に似た人らしき者が、呼んでいる。200メートル下方の大地からである。
それでも2人ははぐれた3人を見付ける為に、見えない透明な羽で飛び続けると、小高い山頂に地球で言う所の西洋風に似た大きな街が見えて来た。約10キロメートル先である。それを目掛けて飛んでいた。

 一方で、火星では、50人程の建物から頻りに、5人の乗っているはずの有人宇宙船へと連絡を取っていた。宇宙船のAIが、対応をしていた。
「 船内には、生態反応が皆無です。宇宙船の外には5人は出られていません。不可思議な現象を記録しました。直ちに、それらのデータを建物にお送り致します 」

 建物では大変な騒ぎに成っていて、5人の行方を捜す為のチームを結成して、他の建物にも連絡を入れていた。

第4章 『 異次元 』

 空は晴れ渡り、地は緑に覆われ、川は澄んで、海は穏やかだった。
光の国の街に降り立った2人は、街の中心に存在している城壁に囲まれた西洋風の城郭に案内されていた。どこを歩いても目の前から光が差し込んでくる。光の源の国だ。
小高い城郭の中からは深緑の山も、渓谷も、近くの砂浜を伴った凪の朝焼けの海も全て見渡す事が出来た。小鳥はさえずり、大型の飛竜の様な動物が大空高くを飛んでいる。

 2人はいったい何が起こったのかと困惑しながらも、人に似た衛兵に案内されて、城郭の最上階に向かう階段を昇っていった。階段は円形らせん階段で、小窓から街と城壁の外の景色が見渡せた。
 重厚で彩色溢れる、優美で絢爛な白色黄金色の扉が最上階にあり、衛兵4人が銀箔色の鎧に身を包んで待っていた。それぞれの鎧が煌びやかでいて気品に満ちている。
「 異次元からの訪問者殿か。ようこそ、参られた。中に入られよ 」
そう言うと、彼等は扉を開けた。2人の目には輝かしいばかりの光の絢爛が飛び込んできた。部屋は多くの装飾品で壁が飾られ、しかし、そのどれもが白か黄金色で彩られていた。

 扉の中には、1人の壮年の黒髪で長髪の男性が立っていた。白色の鎧に身を包んでいる。4人の衛兵が中に入り、壮年の男性の両横に立った。
 移住者2人は衛兵に付いて行くと、壮年の男性の前に立った。壮年の男性も衛兵も2メートルを超える身長だ。壮年の男性が口を開いた。
「 来訪者殿は光の文様を読み取れたのですか? 」
2人は彼等が話す言葉が異国の言語なのに、何故か意味を聞き取ることが出来る。問いかけに、2人はこう答えた。
「 はい。火星上で、光の文様を見て、AIが翻訳してくれました 」
それだけで言う事は必要な事を満たしていた。
「 生命を持って天界に向かう者は、必ず、この国を通過する。先ずは御ゆるりとしていかれよ 」
 壮年の男性がそう言うと、衛兵4人に誘われて、部屋を出て城郭を降りて、街を自由に歩き回って良いとの許可を得た。

 2人は、はぐれた3人の事を聞き忘れた事に気付いた。しかし、平和で気候の良い国だなと2人は感じていた。どこの国だろうと考えていた。
 空に見える巨大な翼竜みたいなものは、飛行機か何かかと思っている。近くにいる者に2人は尋ねてみた。
「 ここはどこの国ですか? 」
尋ねられた者達は笑い、こう答えた。
「 異次元宇宙からの来訪者ですね。いいえ、ここはあなた方の住む宇宙とは異なる宇宙です。時間と空間を隔てられた。光のトンネルを潜って来られませんでしたか? 」
「 は? どういうことですか? 」
2人の内、女性が尋ね返した。しかし、「 まあ一時、ごゆるりとして行って下さい 」とだけ言われて、食べ物と飲み物を貰って2人はそれを食べながら、街を見て歩いた。

 火星上では、忽然と行方不明に成った5人を探していた。AIが残しているデータを解析してみると、驚く事に気が付いていた。
 有人宇宙船の中で、瞬間的に5人が姿を消してしまっている映像が残されていた。何度解析をしても、1/100[s]の間に、5人の姿が消えているのだ。この事実は、地球にも光信号で報告された。

 土星の一番大きな衛星上に有人基地が存在していた。土星上も深いガスに覆われているが、幾つかの建物が建てられている。
 この惑星でも今、正に同じ事が起きようとしていた。

第5章 『 多次元 』

 次元には、一般的に現実世界では2次元と3次元が認められている。
 簡単に言うと、2次元は平面であり絵で見る世界であるが、欧州で奥行きを持たせて遠近法を取り入れた画法が開発されて、2次元でも立体感を持たせる事は一般的です。しかし、これはあくまでも2次元であり、横から見ると平面を横から見る事に成るので、高さが無いのです。
3次元とは立体の事であり、一般的に私達が住んでいる世界の事を指します。物質は全て3次元の産物であり、どんな物質でも必ずこの大宇宙での存在を肯定されます。物質を簡単な言葉で表すと、質量があり体積があり空間中に存在しているものと表せます。

 1次元は一般的に点と成っていて、点の直線的集合が(直)線、空間を囲わない点の集合が面と成ります。1次元は一般的に面積(体積)を持たない空間内の座標なので、座標としては存在しても、数学のグラフの中の点として存在しても、そこに物質という3次元の産物は収まりません。
平面は点で出来た直線的集合を全て同じ向きに平行移動した集合と成りますので、範囲を決めないと無限の面積を持つ無限の点の集合という事に成ります。

 直線も一般的には面積を持たないで、直線を横から見ると限りなく太さの細い線と成りますが、直線を真っ直ぐに線のベクトル方向に見ると点と成ります。
 直線をこの後者の見方をする以外では、全てどんな方法から見ても直線に見えるのです。
 3次元を元にして、1次元と2次元の全てを人は考えます。人は1次元や2次元では存在出来ないのです。写真や映像の中を除いて。

 人の目は焦点というものがあり、その焦点から次第に遠ざかる範囲の物はぼやけて視界に入る。その点で、人は視界に入る景色全体を認識して絵を描く事は出来ない。恐らく、風景画を描く時には、視界に入る景色をあちこち見てから、画用紙の範囲を決めて焦点を合わせて視て描く。
 これは、写真とは少し異なる方法だ。デジタルカメラで焦点を合わせると、カメラレンズに納まる範囲では全てが鮮明に写実的な写真として撮る事が出来る。

 人間の目は、2つある。2つの目は、焦点と遠近感との調節に使用すると聞いた事がある。近くを見る時には2つの目は内側に寄り、遠くを見る時には2つの目は平行に向く。
 最近は寄り目の子供達が多いと聞きます。これは携帯電話やTVを近くで見る事を続けて育つ事で、2つの目が内に寄る生活習慣病であると思われる。詰まり、近くの物に焦点を合わせて育つから、遠くの景色を見る時に目を平行にする為に視神経との関係で近視に成りがちなのだ。
 育つ過程で、人間は遠くを見て近くを見て育つ必要性がある。特に都会では建物が多く、遠くの景色を見る機会が失われる。これは、近視の成人を生む要因であろうと考えられる。

 人には第2の目がある。心の目である。心の目は想像力や感情を理解する事が出来る。相手の心をおもんばかる。気持ちを察し理解する。
 だから遠い家族が今、元気にしているかとか、親愛の想いを馳せる。想いは互いに通じるのである。

 単一宇宙という考えで、私達は生きています。この考え方は、人が暮らしの中で思い描いた太古の文化の中の思想によります。この考え方は、私達が住む約138億年の大宇宙以外の大宇宙があっては為りません。
 人が地球に暮らす上で、様々な思想が存在していました。昔の人が地球という大地で暮らしていた時、未だ、新大陸も知らずに、大空を飛ぶ事も知らずに、地球を宇宙空間から見て青い事も知らなかった時代です。
 大地は混沌としていて地平線の彼方に山が見え、海は限りなく水平線の彼方には太陽や星々は昇降して、夜空には輝かしく恒星の星々が見えた事でしょう。

  私達、人は私達が中心で全ての存在があるという自己中心観で世の中の全ての事象を解釈していました。欧州の学者が地動説を唱えるまでは、地球の周りを大宇宙が回っているという天動説が主流でした。
 しかし、現在の人は誰もが知っています。太陽系は小さな天体であり、天の川銀河も天体的な観点ではゆっくりと回転していて、だが外周の天体はより高速で銀河の形を普遍に見せているように回っているのだろうと。

 私達が存在している大宇宙には、客観的見方をする他者中心観もあるかも知れません。地球から出る術を知らない私達からしたら、不思議でならない事です。
 仮にこの銀河系に住んでいる比較的に低知的生命が他に存在していて、夜空を見上げていたら、彼等にも自己中心観があり、自分自身を肯定する思想が芽生えているに違いないでしょう。
 人類に至っても、それぞれの国、地域、生活、等で見解は変わってきます。これは個性や自己という身体と精神と魂で出来た人という人格で成り立っているからです。人には人権があり、人の命は尊く、個性的で、多様で、自由で、正しい行いをしなければ成りません。

 現代人を一言で言うと、理性がある知的生命であり、どんな姿形をしていてもその正しい主張は聞き入れられて、それでいて勤勉であり人権尊重の下、社会に調和をしていないと成らないという時代です。
 調和と個性は相反するものに思えます。個性を先に出すと皆から疎まれ、調和を優先させると個人の個性と意見が失われる。しかし、人は学ぶ事で理性を養い、人権を最優先して考える事が出来る様に成れるのではないか。学びは理性を育てて、他人を理解する手助けと成り、他者の人権を尊重する様に成ると思います。

 それぞれの人には、それぞれの生活があります。だから、生きる為に必死になるのであり、自分自身の主張や主権を言葉にします。
 地球外に今、私達人類は旅立とうとしています。その時、どんなに空間の中に物質や惑星の土地が横たわっていたとしても、それを崩す事は、この大宇宙を蝕む事に成り、何れ悪い環境を齎すのではないか。
 それはこの地球環境にも言え、本来の人が生きるという目的から考えると、平和的に人が共存して、地球環境をより健全に皆で話し合いながら、私達の母星を大切にしていく事が求められる。
 地球は私達の家であり、家を壊しては、私達の暮らす場所が無く成ってしまうからです。私達は宇宙空間では生きていけない生命だからです。

第6章 『 多次元 Ⅱ(SF) 』

 単一宇宙という、私達人類の主観的な考えとは異にする考え方があります。多次元宇宙です。
 単一宇宙は、現在、我々が観測している我々が住んでいる約138億年の歴史を持つとされる宇宙の事です。一方で、多次元宇宙とは、時間を隔てた他の大宇宙が無数に存在していて、我々の住む宇宙からは時間が異なり、視る事が叶わないという考え方です。
この考え方は、信仰の中にも見受けられ、『 天界 』『 天国 』等の表現でも思想としてあります。

 時間を隔てているとは、遠い距離にあるという理論ではありません。例えば地球から100光年離れている宇宙空間で起こっている光を伴う事象が、約100年後に地球で観測されるという話しとは異なります。
 時間を隔てているとは、パラレルワールドの考え方とは少し異なります。時間を異にしている空間と物質は、その存在自体が近くても遠くても、互いに干渉をしないという考え方です。
 だから、同じ時間で流れている物質は目にする事が出来ても、違う時間軸に乗っている物質は目にする事が出来ないという理論です。

 ビッグバンからこの宇宙が始まった、時間と空間と物質が溢れ出たとすると、これは同じ時間軸に乗っている訳であり、これらは同一時間軸と考える事が出来ます。この宇宙の中の物は目にする事が出来、観測する事も出来ると言う事です。
 しかし、この宇宙外のものは、何故かブラックボックスに成っている訳です。即ち、時間軸を異なる時間の中に、この宇宙外のものは存在していて、時間が異なるゆえに目にする事が出来ないのです。

 ここからは『 SF 』の話しです。仮に目にする事が出来ない観測する事が出来ない物質でこの宇宙の質量が70%満たされていたら、それは何でしょうか? ダークマターとは違い、ダークマターかも知れない。1つの種類の物質かも知れないし、複数の物質、素粒子かも知れない。

 空間は無限に横たわっていると仮定する場合、この宇宙の隣に時間の異なる別の宇宙が存在していたとして、互いに高速の物質や粒子を交換しているとします。存在は観測出来ないが、質量は観測できる。では、これは何だろう?
 空間は有限に横たわっていて時間も隔てている場合、これらは重なる事が出来ると仮定する。何故なら、時間が異なり、空間も有限であるからです。
空間が重なるという事はあるのでしょうか。これが議論の中心として、超重力の周りの空間は歪められるという理論があります。これは『 はてな? 』と考える人もいると思います。実際には理論として正しいとの現代の正論です。(相対性理論の一部です)

では、歪められた空間は磁力線のように、空間が密に成る部分と疎に成る部分があるはずです。空間が密に成る、疎に成るとはどういう事か? 密に成った空間と疎になった空間との違いは、何か? これが空間中に散布して横たわっている小さな物質や粒子が影響を及ぼしているとします。
全くの真空の空間が、果たして重力の影響を受ける事があるのかどうかです。個人的見解では、無さそうな気もしますが、ありそうな気もします。

1平面が球状の超重力に接近している場合、平面を網目状にして考えると、空間には質量が無い事を考慮して、また平面には厚さが全く無い事を考慮して、1平面は捻じ曲げられません。厚みが存在しないものを、捻じ曲げる事は出来ないからです。
しかし、厚みのある複平面の集合には、時間を同じにする物質と、時間を異にする物質(見る事が出来ない)が、複平面に点在しているとします。これらの物質は、超重力に万有引力で引き寄せられて、多くの物質の内部の空間もそれに伴い影響を受けるとします。質量の中に空間を持っているからです。

 どちらにせよ、物質を全く持たない理想的空間を作り得る事は出来ません。素粒子も含めて、全く物質が存在しない理想的空間が、超重力に捻じ曲げられるかどうかは、『 神 』のみぞ知るです。

 多次元宇宙とは、時間を異にしてこの宇宙以外の大宇宙が、隣り合い、または重なり合って、無数に横たわっている理想郷であるとします。

第7章 『 真実の地球 』

 地球は、2200年頃、繁栄の中に居た。しかし、真実はこうだ。
 人類は鉱物資源、貴金属、レアメタル、レアアース、等を陸地、海洋の海底から採掘し尽くして、土地は穴だらけで地下水すら枯れて、海洋の海底の資源さえも採掘技術を向上させて掘り起こした末に海底は破壊されて、海洋汚染は海洋生物達には過酷な環境と成り、海洋に生きる生き物の元気な姿は殆ど見られなく成っていた。

 海洋汚染を回復する試みは続けられた。しかし、それを元に戻すには、魚に棲む寄生虫の除去、海水からの化学物質の除去、海洋のプラスチックゴミの除去、等を継続して行い、海に養殖した生き物の稚魚を返していかなくては成らない。
 海洋風力発電は盛んに行われている。根魚の宝庫との触れ込みであった風力発電も、海洋汚染の原因と成っていた。盛んに建てられたそれらが原因で海流は変化をして、プランクトンの大発生とその死骸による赤潮が万年的に起こり、海洋の生物達を死滅させた事があった。

 陸地の資源はもう、採りつくした。幾ら土を掘っても出るのは過去に埋め立てに使ったゴミだけで、もう新しい有望な鉱脈も無い。住宅地はひしめき合い、道路は電気自動車で渋滞をして、都心は高層住宅しか建っていない。
 空気の汚れは、空気の洗浄機の開発と空気成分比率調整器で何とかしのいだ。しかし、明らかに空気は高温である。そして空気温度調節の為に開発した装置で永らえた分、気候が激変をして気象情報は全く役に立たないでいた。

 太陽の輝きはまるで真夏の様に熱く、とても長時間の間に野外での肉体労働に堪え得る事は出来ない。太陽も齢を重ねて、少し膨張をして何故か過去の映像に残っている太陽と少し異なり輪郭がおかしい。
 人類は200年前の人口の数倍に成り、子供を作るのにも許可と申請が必要であった。
 それでも、人類は皆、希望を捨てずに宇宙開発のみが人類の生き残る希望であり、地球環境の改善が生き残る手段であった。
 地球人類は地球上でストレスを溜め込み、それでもにこやかに過ごす方法を必死に見付けようとしていた。

 地球は真夏の中に居た。気流すらも科学で支配しようとして、自然環境に逆らって地球に人類は挑んで行き、大地や海洋や気流を屈服させようとして、地球を力でねじ伏せようとして人類自らの生きる術を見失った。
 自由絢爛な人はもういない。全てが統制されて、人はにこやかにして過ごす習慣を、子供の頃から教育された。

 この地球から逃げたいと思う人は沢山いても、それは火星や土星であり、他には避難の場所は無い。少し残った田舎は未だしも、都会の高層ビル街では人間関係は乱れて、心の安らぎは趣味に没頭するくらいであった。
 ミレニアム2000年に世界人口は約61億人であり、それから2022年までの22年間で世界人口は約75億人に成った。端的に、22年間で14億人増えていて、22年間での人口増加率は23%である。
 約2200年までにこの増加率を計算すると、2200年頃には約400億人くらいに成っている計算だ。これは概算の計算であり、実際の人口増加はより少なかったり、より多かったりすると思われる。

 2022年からの人口増加が、約325億人であり、5.3倍の人口に成っていて、どうして暮らして行けるのだろう。
 食料はプラントで有機栽培、人工飼育が行われている。しかし、全てが、有機物が不足をしているのだ。森林を幾ら増やしても、地球上の総和有機物の不足は補えない。金属もプラスチックもセラミックスも樹脂もゴムも、全てが再利用であり、ゴミの分別も厳格であり、生産時の容器の再利用も考えた生産方式である。

 だからこそ、人類皆が宇宙に夢を馳せるのだ。宇宙への旅立ちと、人が生身で住める星への移住は、人類の悲願であった。

 (注:この話しはSF(スペースファンタジー)であり、現実とは少し懸け離れた未来予測を元に、宇宙への期待を込めて作成をしています)

第8章『 近未来 』

 人口増加の一途にある地球惑星は現在、増加する人口に対応するように森林を伐採して住居として行っている。
 森林は炭水化物やタンパク質で出来ていると大まかに考えると、人類を含めて多くの生命の源は、緑地と海の中から得ていると思われる。
 食物連鎖で自然界は成り立っているので、小さな炭水化物・タンパク質から成る生命から大きな生命まで、自然界に存在している炭素化合物やそれに付随する有機化合物(S、N、H、Fe、Ca 他を含む)は有限と言う事である。地球上に存在している量は。

  人類が増えると、それに伴い必要とされる食料の量も大きく成る。森林から得られない不足分の陸地の食料は、野菜果実の栽培、家畜の飼育等でまかなっている。  海も同じである。自然界で摂れる海産物の量が限られていると、どうしても魚や貝や海老など、養殖をする。
 人は1日、最低でも2000~2500キロカロリーの食料を必要としている。地球上人類75億人が2倍に増えて、仮に150年後以内に150億人と成るとすると、それに伴い宅地面積も必要と成り、森林伐採が行われる。
 そして、減った森林面積による問題が発生する。

 問題は次の通りだ。
 大気中の酸素濃度の低下である。当然、森林が減るから、森林により還元される酸素O2の製造が少なくなる。また、人も増え、その食料と成る家畜も増やさないと成らないから、酸素の消費が増える。
 海水の中も同じである。海水中酸素濃度が減ると、魚や魚介類が窒息してしまう。極端に水棲生物の健康が害する。何故かと言うと、大気中酸素濃度と水中酸素濃度は、その飽和気圧で、酸素O2の濃度が両方で、それぞれ一定と成っているからである。
 これは酸素O2濃度単体で考える事が出来て、例えば、ビーカーの中に半分水H2Oを入れて、半分、大気(N2 80%、O2 20%)を入れ、蓋をすると、水中に溶け込む酸素濃度はその閉鎖されたビーカー内の中で、一定と成るという法則がある。
 酸素O2濃度は、窒素N2濃度に関係なく、ビーカー内の水に溶け込み、気化してビーカー内の気体に戻るという事を繰り返している。

 地球と言う惑星でこれを当てはめると、仮に、大気下の海水中の表面近くの酸素濃度がある濃度A%だとする。計算はしませんが、大気中の海面付近の酸素濃度が1%減って(例えば標高の高い山の上の酸素濃度の低さによる息苦しさ)、この時、海水面での大気圧との関係で、海水面近くの酸素濃度は明らかに A-α% (αは正の定数)と成るはずである。
 深海中の酸素濃度はまた別とする。これは、魚や水棲生物達に異変をもたらす。考えられる事は、池の中の鯉の様に水中の酸素濃度不足で、鯉が水面で口から直接空気を吸う等の現象である。
 だから、本来いるはずの無い、水中100メートルくらいに生息している魚が浅瀬に群れを成して来るという事も考えられる。餌の小魚や、それを捕食する大きな魚という関係を超えて、酸素を無意識に求める為にである。

 海中の環境の変化は判らないですが、可能性としては、魚が窒息をする事も考えられる。赤潮でなくとも、酸素濃度が1%くらい変化しても、魚はえらから摂取する酸素不足に陥り、弱るのではないか。

 人間が陸上で、酸素濃度調節機を開発したとして、地球上の大気の中の酸素濃度を仮に調節出来るようになったとする。
 しかし、森林の緑地面積が減少をして、人間が大気をコントロールする事が出来るように成ったとしても、森林面積の減少による地球環境の激変は抑える事が出来ないのではないか。
 これは1説である。地球上の大気と陸地と海洋は、循環して成り立っている。海水は蒸発して雲と成り、陸地にミネラルの雨を降らせる。陸地の大地は潤い森林が育つ。山に降った雨は川を造り、その川は平野を形造り、農地を人に提供をしてくれる。大気は湿度を持ち、時に乾燥をして、風と成り植物の種や鳥を移動させる。気候も移り変わる。

 そうして、地球上での、人々の営みが成り立つのではないでしょうか。

 物語は続きます。

第9章 『 別世界 』

 光の道を通って、光の国に辿り着けなかった3人が何度かバウンドして到着したのは、時間軸の異なる光の国であった。
 空は煌々と日差しが強く亜熱帯の気候で、それでいて密林が無い広々とした青い大地が遠くまで続いている。天は高く青空が一片の雲の霞も無く丸みがかっている。まるで水晶の球の中にいるようだ。
 3人が辿り着いたのはオアシスのある宮殿の様な建物で、高さは、100米はあるだろうか。宮殿の周りには澄んだ水の浅い湖で囲まれていて、宮殿に続く細い石の高い橋は4本、低い橋は4本あった。
澄んだ浅瀬の真水の砂底の上には小魚が群れを成して泳ぎ、時折、光源の判らない光を鱗で反射させては、急に群れの向きを変えて戯れていた。

 宮殿は黄金色を基調としていて銀色と白金色の装飾で豪華な中にも気品を感じさせていた。その高い宮殿に、石畳みの平坦に削られて組み合わされた細い長い橋が繋がっていた。
 3人は、細いが高さの高い橋を渡って宮殿に向かっていた。時折、褐色の人らしき人々とすれ違っていた。人々はやはり身長が高く、高潔な出で立ちをしていて、白や白に近い民族衣装を着ていた。

 宮殿の入口に辿り着くと、鋼鉄の大きな扉が開かれて、開け放たれた。その扉を開けるのに、銀色の甲冑を着た不思議な日除けを纏っている大男が、16人必要とした。
 3人は怖さもあったが、好奇心と気候の良さに訝しげもせず、扉を潜った。歩いていると、宮殿の中は円弧の様なガラスで出来た天井が、強い日差しを取り込んでいて、幻想的な光の反射をさせていた。
 空気中に反射している光子が見える様な、造りである。

 例により、4人の黄金色の甲冑に身を纏った者が待っていた。1人が男で、3人が女である。中央の甲冑の女性が纏っている白い日除けの背中の向こうには、黄金色の小さな扉が見える。
 「 来訪者殿か? 久しぶりだな 」
一番小柄だが、移住者3人のより身長の高い甲冑の女性が、異なる黄金色の仲間の甲冑の女を見ながら言った。
そうして、奥の扉の方に歩きながら、3人を誘った。4人の甲冑の者達は2人ずつ左右に分かれて、中央の女が扉を開けた。
眩しい光沢の部屋に目が慣れると、そこには若い黒髪の白い肌の女性がいた。白い甲冑に身を包んでいて、机に座り執務中であった。

 移住者の3人の内の1人の女性が、部屋の中に入り尋ねた。
「 あなた方は、どうされたのですか? この様な楽園が、未だ地球に残っていたのですね 」 執務中の白い甲冑の女性は答えた。
「 何も知らないのだな、来訪者殿。旅はここまで永かったであろうし、この先も永いであろう 」
たじろぐ2人の移住者の男性をしり目に、女性は立て続けに答えた。
「 仲間の他の2人の居場所を尋ねたいのだろう? 」
 その言葉に、3人は頷いた。女性は机に筆を置き、椅子から立ち上がり、部屋の中央に行き天井のガラス越しに取り込まれた採光を浴びると、伸び上がる様な仕草をした。採光に包まれた女性は気高く、品格に満ちている。

 「 着いてこられよ 」
女性が徐にそう言うと、扉から外の部屋に出て行ったので、移住者の3人は慌ててそれに続いた。
 20分程、宮殿の中を歩いて青銅の扉まで行くと、また16人の甲冑の男達によって扉が開け放たれて、宮殿の外の景色が白色の甲冑の女性と3人の移住者の目に飛び込んできた。
 そこには、断崖絶壁の宮殿の高い城壁と、その断崖絶壁の城壁に打ち付ける荒波の果てしない海があった。半分円弧の石造りの外の縁側には、4人しかいない。猛烈な強風が4人に吹き付けて来る。

 宮殿には時間の扉が8扉あり、それがそれぞれの時間軸の違う世界へと繋がっていた。バルコニーには階段があり、それを降りて行くと大きな木造の船が一艘、着けてあった。舵取りが一人いる。
 女性はこの船に乗るか、引き返すかを3人の移住者に尋ねて来た。3人は躊躇した。荒波の中に漕ぎ出すからでは無く、女性の冷酷さにである。3人は少し宮殿で休みたかった。しかし、異方人の3人は、この宮殿に留まる事を許されなかったようであった。

 3人が渋々、貴船に乗ると、貴船はたちまち沖に出たと思うと、船は穏やかな気候の光が降り注いでいる浅い海の只中に居て、透明な水の船の下には小魚達が、その船の下に隠れる様に、身体をくねらせて勢い良く群れで泳いでいた。
 直ぐに、浅瀬の砂の上に木船が乗り上げると、舵取りが船から降りる様に勧めた。それに従い3人が船から浅瀬の水に降りて陸に上がると、船は姿を消して、春の様な穏やかな緑の大地にいた。

 移住者3人は、その時間がまるで1時間も経たなかった出来事の様に感じられて、不思議で成らなかった。先程の宮殿を探してみたが、どこにもその姿は無く、ただ、延々と続く草原と遠くの山々の濃い緑が見て取れ、先程の事が夢であるとしか思えなかった。

第10章 『 探査 』

 火星での異変は、地球にも光信号で届いた。
光信号はその点滅の長さや波長の偏り、等で英語や他言語や数字に置き換える仕組みで作っている。
 例えば、三角形の特殊ガラスのプリズムで太陽からの白色光は短波長から長波長に虹色に振り分ける事が出来る。
 これを、特殊な装置の中の複雑な特殊ガラスと鏡を使用して、更に光の波長域を細分化していく。すると、細かい波長の光の波長域をそれぞれの出口から摘出出来るという装置である。
 この光の波長分割装置を利用して、光信号として、それぞれの波長の短波長域、中波長域、長波長域と、それぞれの光の放出時間[ms][ ns]を調節して、それぞれの地球上の国々の基本言語に変換をして、受信側の装置で翻訳をするという仕組みだ。

 光信号を読み取った、地球惑星上の機関は、その事実と映像を見て驚愕をした。緊急事態であるとの認識を受けた機関は、その特殊性にも注目した。
 AIが翻訳した光の文字で映し出された言語である。地球上のどこの言語にも当てはまらずに、変わった文法である。AIの誤作動で無いとすると、異世界、太陽系外惑星からの交信かも知れない。

 一方で、火星上では、5人の捜索をしていた。火星の移住者達は皆、その認識と位置を正確に判別する為に、特殊なチップを服や靴や首飾り装飾品に付けていた。
 その情報では、確かに火星上に5人が居ない事が判っているのだが、その生命の情報は尚、消えていないのだ。

 移住者2人が降り立った光の国では、森林豊かなこの惑星らしき夜の無い国を、2人は歩いて回っていた。この惑星らしき土地は豊穣であり、街が豊富にあるようで、その街を繋ぐ村落では必ず、移住者2人を持て成してくれた。
 2人がある街を訪れた時。その街の城郭に、2人は招かれた。男女2人は、夫婦に成る約束をしていた。だから、「生きる時も、病める時も、死ぬる時も一緒」だと考えていて、どんな恐怖をも恐れずに、苦楽を共にしていた。

 城郭は街の中央にあり、4人の騎士らしき鎧をきた者達が迎えにきたので、着いて行った。その城郭の執務室に通された時、1人の若い白色の鎧に身を纏った聖女が居た。
 若いのに端正な美しさで、落ち着いた物腰をしている。移住者2人は、頭を下げて言葉を待った。移住者2人は既に、ここが地球上では無い事を悟っていて、そしてタイムスリップか何かでもしたのであろうとの、推測をしていた。
「 よくここまでこられた、来訪者殿。理解していると思われるが、ここはあなた方の故国では無い。この『秘められた鍵』を持っていかれよ 」
そう、気品のある女性は申した。

 渡された物は、装飾の施された宝石箱の様な小箱に入っていて、それを移住者2人は受け取った。開けて良いものかどうか迷った2人は、そのまま礼をして執務室から出て、街に降り立った。
 街を出て、森林の間の小道を往くと、神殿の様な建物が遠くに建っているのが見えた。2人はその神殿の美しさに魅了された。明るい青空の下、森の中にひっそりと建つ豪華でなく質素に佇む神殿であった。

 神殿に人は1人もおらずに、2人が人を呼ぶ声にだれも答えはしなかった。仕方なく、2人が神殿の小さな扉から中に入ると、神殿の中はあらゆる色の採光を取り入れている造りであった。
 神殿の中央まで2人が行くと、内部の装飾が見て取れた。内部には光の国の歴史や光で書かれている光沢のある文字が映し出されている。感嘆をする2人に、光の文字は揺らめいて不思議な幻想的な雰囲気を醸し出している。

 少しすると、城郭で手渡された宝石箱『 秘められた鍵 』が熱を持ち出して、光が箱のあちこちから迸りだした。移住者の女性はその宝石箱を、あわてて床の上に置いた。
 すると、大理石の様な装飾を施されている床の中心部分の円弧の中にその『 秘められた鍵 』の宝石箱があり、それが眩しい見る事が出来ない程の光の球が神殿の中の空間に泳ぎ出していた。

 扉は開かれた。移住者の2人はそこに光のトンネルが再び幾つも開かれるのを見て、意識を失った。

 地球惑星の異次元宇宙の旅が、この時から始まった。

第11章『 経済 』

 地球上の経済は、製造というもので成り立っている。製造とは、地球上表面や海底にある、鉱物や金属、無機化合物、有機化合物を採掘して加工したり、採取して、売買する事で成り立っている。
 詰まり、新しい物を造り上げる為に、地球上表面や海の中にある有限の資源を次々に掘り起こして、それを加工し販売する事で、総生産としていると思われる。だから、いくら地球上の人口が増えても、採掘した資源により製造された製品・物品・食料等の総生産が上がっているのである。

 しかし、地球上の資源はいつか途切れて無くなる。まさか、地球のマントルや地核までも資源とする事は出来ない。

 地球上の経済を考えた時、問題が幾つか存在する。

 1つは、製品製造能力と購買層の購買能力のバランスである。これは、最近の半導体需要に供給が間に合わなくて電化製品の製造が遅れてしまう事や、レアメタル・レアアースの流通不足で製品製造能力が需要に追い付かなくなる事からも判る。  要するに、幾ら製品製造能力を向上させても、AIや近代機械化自動製造装置で製品を大量生産出来る能力を身に付けても、その製品を購入する購買層に購買能力がなくては、売買が成り立たなくなり、売り手側と買い手側とで製造・購買のバランスが取れずに、経済に負担を来たす事になる。  だから、製品製造元である売り手は、買い手の購買能力と意欲を見て値段設定をして、利益を考えて原価と売値の差で利益を出して、企業活動を続けるのである。

 2つ目は、製造元利益追求至上主義と、購買層の損得の考えによる購入意欲とのギャップである。
 一般的な人々は、企業で働き月給で生活をしています。だから、企業が売り上げを伸ばして利益を上げても、従業員に給与という形で売り上げから労働に対する報酬を支払わなければ、従業員の不満は積もります。
 企業の利益至上主義だけでは、従業員は付いてきません。従業員にも働く楽しさと福利厚生と報酬を支払わなければ、従業員は働く意欲を失うからです。その従業員が得た給与と言う報酬で、従業員の生活が成り立つからです。
 これを怠ると、従業員の多くは家計が弱り、それが細部まで行き渡り、次第に労働条件の弱い者から生活が破綻して、それが広がって行き、結果的に購買層の購買能力を奪い、製造元企業の売り上げの減少と言う形で影響を与えてくるからです。
 結果的に、多くの人口を占める従業員層の収入が減り、購買層の土台が弱って製品が最終的に売れなくなり、経済が上手く行かなくなるからです。

 企業が幾ら貯蓄を貯めても、多くの従業員層がある程度貯蓄を持っていないと、人も育たず、家庭も成り立たず、結局、経済の活性化が無くなります。
 ある製品を作っている企業の従業員達が給与と言う形で収入を得て、他の製品を造っている企業の製品を購入する。これが複雑に交差して、経済と言うものは成り立っているからです。
 だから、企業が多くの資産を持つ事は企業の活性化にも繋がりますし、従業員が資産を持つ事も経済の活性化にも繋がるという訳です。
 どちらが良いと言う訳でも無く、両方が上手く行く事が望まれるのです。

 3つ目は、経済の地域格差です。
 これは、地域的な、産業の成り立ちでも言えます。例えば、ある都市では機械産業が活発であり、ある町では農業が盛んであり、ある村では漁業が栄えているとします。これらの地域毎の特性で、それぞれの地域経済が成り立ちます。
 しかし、何らかの理由でその連携が崩れた時、経済の疲弊化が始まります。先程の、購買力との関係性で、購買層が買い控えたり、購買する能力を失うと、たちまち製造元企業の売り上げの降下に繋がり、それがその企業の従業員の所得減少となり、その従業員が他の製品を購入する能力をも奪うという循環が起こり得るからです。
 簡単に言うと、経済的疲弊が、ある地域からある地域へと伝染して行き、結果的に総合的な経済の疲弊を招く事になります。

 これらの他にも、間違った経済対策を行ったりして起こる混乱や、自然災害による経済的打撃や、国別の貿易不均衡等の原因で起こる経済混乱も存在している。  これはあくまでも、評論家としての意見である。工学的、産業的、経済的、人間心理学的、資本主義的な見地から見た、経済の意見です。

  やはり、人が造った製品は、壊れたり、摩耗したり、破損したり、風化したりします。食料に関しては、食した時点で価値を失います。また資源は、製品に成り代わって消費されて気化したり、部品の一部と成って使用後にスクラップと成ったり、再利用が不可能でゴミとして捨てられたりします。

 今は、新型コロナ禍の下、皆、苦しいのです。もどかしいくらいに、上手く行かないのです。これを改善させる為には、原因を突き止めて、最善の方法論で対策を練り、地道に教育から人を育て上げて、長期的な見方で経済の活性化を行っていく他無いと思われる。

第12章『 旋律 』

 木星のガスの大気の中の大地に、視界の悪い状態で建造物都市を建設中であった。西暦2200年頃の事である。
 地球からは、火星に次いで、太陽から5番目の惑星という事もあり、その公転周期と位置を計算してその最接近を狙った物資移送宇宙船が地球、または火星から木星の接近を計算して向かっていた。

 木星は地球に比べて大きな直径の惑星である。ガスに覆われていて視界は悪く、建造物都市が未だ数十、密接して造られているのみであった。開発途上なのである。それ程、重力も大きく、人類にとって未知数の惑星であった。衛星も多く、有名な衛星ではエウロパ等が存在している。

 当初はその巨大な重力対策として、反重力装置の開発が最重要課題として提案されていた。例えば、重力を半減させる為のスーツである。
 普通のスーツを着ていても当然、人間の体重に掛かってくる重力は、F重=kMm/r2[N]の様に、大きく成って行く。この人体に掛かる重力F重は、ある定数kとして、木星重量M、人間重量m、惑星半径をrとして、地球上と変わってくる。

 ここで定数kはさておき、木星重量Mと人間重量mの積は一定に成るので、惑星半径r2も地球より大きく成り、惑星の構成成分密度や、その中心に向かっての物質の密集が大きく作用して来ると思われる。
 要するに、定数k×質量の積Mmは一定であり、分母のr2も地球のそれより大きく成っているので分母の数も大きく成り、結果的に惑星の構成成分の密度で木星地表上で人間に掛かってくる重力F重[N]が判る。

 仮に、地球より軽い材質で木星が形作られていたならば、恐らく、惑星重量Mが小さく成り分子の数が小さく成るので(mは人間の質量なので)、分母r2が大きくなるとその相乗効果で、惑星地表上の重力は比較的小さく成る可能性もある。
 地球より重い材質で惑星が構成されている場合には、恐らくその反対で、分子の惑星重量Mが大きく成り、密度の濃い惑星と成るので、分母r2が大きく成っても、惑星地表上の人間に掛かる重力が比較的大きく成る可能性もある。

 その複雑な環境の中で、人類は最適な地球と同じくらいの惑星地表重力となる様に、人体に掛かる重力を調整する必要性があった。試行錯誤の結果、惑星上建物の中を気圧調整して、着用する服スーツ2重性を持たせて、服スーツの間に特殊な気体を全体に充填して、浮力性や沈降性を持たせる方法を開発した。
 勿論、その服スーツは柔軟性に富んでいて、人体に過度の圧迫感を与えないものとする。

 木星に在住している移住者はおよそ500人くらいであった。調査と人体的適応力を見る目的である。
 濃いガスの為に視界は悪く、通信状況も悪い惑星である。無線より、主に有線での連絡が必要になっていて、他の惑星とは一線を画する。

 或る日、1人の機械技術者が、管制室で居眠りをしながら、装置の椅子に座っていた。すると、特殊な周波数の光信号が、計器にリズムを持たせて受信を記録した。
 居眠りをしていた技術者が眠りから目を覚まして眠たそうな目で計器を見ると、全ての計器が光信号を受信していて、まるでオーディオの様に、光信号強度グラフを高下していた。
 技術者が急いでそれをAIに解読させると、それは音楽の様な『旋律』を奏でている譜面に成っていた。

 技術者がそれをあらゆる言語体系に当てはめてみるようにAIに指示をしたら、それはまるでクラッシック音楽からロック音楽の様な、譜面の発音と音の集まりであった。
 彼は椅子から立ち上がって呆然とそれがモニターに映し出されるのを見ていて、我に返り同僚を呼びに管制室を出ようとした瞬間に、道が開いた。まばゆい光の発散が管制室で起こっていて、技術者は忽然と姿を消した。
 建物内部では、その管制室から迸る光の回折を見た幾人かの同僚の技術者が、開かれた管制室の扉を潜ると、部屋が『旋律』と『光』と『リズム』で満たされていた。
 幾人のその場に居合わせた同僚は、身体全体を光で包まれたと思い、それでも眩しくない心地よい暖かみの中、技術者と同じ様に姿を消し去っていた。

 AIが管制室のあるじの技術者の応答を尋ね続けている光景が、ただ残っていた。AIはあるじに対して、質問を続けた。
 「 技術者殿、姿を確認できません。隠れていないでその姿をお見せ下さい 」
 「 生命反応はあります。 悪戯はよしてくださいませ 」
 AIは、それを繰り返して、成すすべも無く、その言葉を繰り返していた。

第13章『 幸福 』

 真の幸福とは、他人を犠牲にしたり、他人を利用したりして得られるものでは無い。他人の犠牲の上に立って得られた幸福とは、最終的には、偽物の幸福であり、誰もその幸福を心から喜べるものでは無い。

 人を貶めて得た利益は、虚無のものだ。本当に努力をして得られた到達点や達成感は、人生の宝物と成り、人間性を養う。そして、充実した人生と言う褒美を『 神 』から頂く事に成る。

 「 何を馬鹿な事、言ってんだ 」と、皆は口を揃えていうかも知れない。世の中、「金」「権力」「欲望」だ、と言い切り、その追及に走る者達もいる。しかし、これは間違いだ。
 本当に煌びやかな栄光は、その人生でかけた努力と達成感にある。勿論、日々の生活も大切であり、人生という長い道のりを挫折しないで生きて行きたいと考えるのは人間の性だ。

 その道のりの途中には、高い壁が立ちはだかっている。例えば、数学の公式の意味が判らないで苦手だよ、英語の文法が判らなくて実は適当なんだ、物理・化学の事なんてさっぱり解らないといった、人生で教養として学ぶべき所で挫折する事もあるかも知れない。
 何日、何十日、何年かけても理解出来ないから、「そこは放っておいて楽しい事してよ、どうせ人生短いし、楽しい事しかしたくないから」と言う習性が、人間には存在している。
 これは心理学的に推測すると、人間の見栄にあると考えられる。

 その高い壁に立ち向かって、負けて惨めな姿を晒したく無い。問題が解決出来なかった時に恥をかく。皆に、カッコいい姿を見せて、自分自身を大きく魅せたい。実は、実力無いから、そこそこの結果を残して皆に凄いと言わしめたい。
 これらは、人間心理に働く見栄であり、本来の自分自身の姿を皆にさらけ出すと恥をかくから、別の自然体に見える、もしくは背伸びをした自分自身の姿を皆に見せておいて、家に帰り着いたら本当の自分自身に戻って好きな時間を、リラックスした時間を過ごしたいと願うものです。

 人間、だれでも生理現象は持っていて、その姿を皆に見せると恥ずかしいものです。ですが、若い内は見栄を持っていても良い事もあるのです。見栄はプライドに近いからです。
 人間は誇りを持っていないと生きていけないものです。誇りは、色々な事から得る事が出来ます。教育や運動や芸術や趣味や人間性や厳格さや純粋や強さなどです。
 誇りには、人種、民族、地域性など先天性のものから、努力して得る事が出来る後天性のものまであります。
 後天性のものには、多くの集団に属する派閥的な思想も存在していますし、少数精鋭の選ばれた者だけが入る事が出来るエリート思想等もあります。

 幸福とは何でしょうか? お金を沢山持っていて、仕事をせずに好きな時間に好きな事をする事でしょうか。
 単刀直入に幸福を推測すると、成りたい自分自身に近付く時に、どこまでその理想の自分自身に近付けたかの達成感と到達感ではないか。
 成りたい自分自身とは、仕事を頑張っている事、勉強で高い理解力をしめして高い成績を収める事、スポーツで活躍する事、芸術を認めて貰える事、自分自身の良さを皆に理解して貰える事、等です。
 如何に、その成りたい自分に近付いたかが幸福感を得られる事に繋がり、人生の達成感に繋がると思われる。

 途中で挫折する事は多々ある。本当は行いたく無い事をしてまで、人生の目標を達成する為に強欲に成る事もあります。
 その時に、悪の心に身を染めては成らないのです。悪の心に身を染めると、自分の心は誤魔化せても、身はいつの間にか穢れてしまうからです。最初は良いかも知れませんが、何時か自分自身の穢れに気付いてしまった時に、本来の成りたい自分自身である人生の目標に辿り着けなかった葛藤と苦悩に苛まれるからです。

 他人を利用し他人を貶める事で得られた幸福は、主観的、客観的に見ても汚く穢れているものだ。その理由はこうです。
 他人の物を盗んでおいて、それに加えて誰かを貶めておいて、私は悪くない利益最優先で生活が楽しいからその他人の事は考えなくてよい。この考え方は悪しきものだ。
 大多数の人間の利益が尊重出来れば、少数の意見はもみ潰して真実すら塗り替えてしまえ。この考え方は悪しきものだ。
 本当に正しい意見や真実は他にあるのに、昔決めた伝統や決め事を破る事に成り、都合が悪いから嘘の事実をそのままにして大集団の意見を貫き通そう。この考え方は悪しきものだ。

 本当の幸福は、他人を幸せにしながらも、自分自身も幸せに成ることではないか。他人の心を幸せにして、自分自身の心も満たされる事ではないか。
 幸福とは、他人の犠牲の上に築き上げるものでは無く、他人の人生の成功の上に自分自身の人生の成功を得るものであって欲しい。